Wednesday, November 9, 2011

社会人になりました

最後にブログを更新してから4ヶ月。私もやっと社会人になれました。

夏の間は大学生活最後の単位を履修し、9月に無事大学を卒業。

9月にはサンフランシスコ・ベイエリアへ引越し、10月からは同じくベイエリアにあるアメリカの製薬会社で働いています。

この4ヶ月間をさらっとまとめると、

・引越し2回
・卒業
・母がアメリカにやってくる
・3年付き合った彼氏とお別れ
・就職
・同じ年のホストシスターが結婚

こんな感じですかね。

卒業後日本で就職するかどうかについては結構迷ったんですが、せっかくアメリカで学位を取ったんだし、もし上手くいかなくても日本での再出発は可能だと考え、挑戦するだけしてみることにしました。

留学生がアメリカで就職する際の一番のネックは就労ビザで、特に9・11以降はビザが発行されにくくなっているのが現状です。

アメリカで大学を卒業すると、全ての留学生に1年間就労の権利が与えられるんだけど、その1年が終わり、正式なビザが発行されない場合は強制帰国になってしまいます。

日系のキャリアエージェントなどに相談すると、「ただでさえ冷え切っている現在のアメリカ経済において、実用的でない学問(政治学)を専攻した留学生(私)がビザを取るなんてほぼ無理です」とキッパリ言われたりしたんですが、実際はそんなことなかったです。

日系企業は足元を見ているので薄給で現地の留学生を雇い1年後にポイ捨て、なんてことが横行しているらしいのですが、アメリカの企業はそもそもビザに関する知識があまりないところが多いので、使えるヤツならビザ出すよ、という態度の企業が意外に多い気がします。

日本のように新卒採用という概念がなく、アメリカ人でも就職先がなくて困っている人が多い中、やはり仕事を見つけるのは簡単ではありませんが、一旦見つけてしまえばあとは自分が使える人間であるということを証明するだけなので、意外にビザまでの道のりは近いのかもしれません。

私はラッキーなことに二社から同時にオファーを頂いて、正直に「迷っています」と相談すると、「年俸額上げるし、ビザ出すからウチにおいで」と誘われたので製薬会社に落ち着きました。

アメリカで就活をしていて何より必要だなと感じたのがコネと根性です。

私は毎週ネットワーキングイベントに参加して、様々なビジネスバックグラウンドを持つ人々と知り合いになり、彼らに助けてもらって今があります。

あとは友達の支え。同じ目標を持つアコが「絶対諦めちゃだめだよ」と応援し続けてくれたので、乗り切ることができました。

何はともあれ、ビザが正式に発行されたらあと6年間はアメリカに滞在できることになり、いよいよ親に頼らずに生活できると思うとわくわくします。(親のほうがわくわくしてるかも)

私はいつも素敵な人たちに出会い、支えられ、本当に恵まれていると思います。

感謝の気持ちを忘れないようにしなきゃね。人生は素晴らしいですな。

Sunday, July 10, 2011

Hiking at Mt. Woodson

最近山登りの楽しさが解りはじめた私。これも運動の後のビールの味を学んだからかしらん。

ということで、サンディエゴ近郊のPowayという市にあるマウント・ウッドソンという所へハイキングに行ってきました。

コースは湖のほとりから始まります。


この日は37度だったので、地面から照り返す日差しも含めると地獄蒸しみたいな暑さでした。でも景色はきれい。


片道3マイルのコースには日陰らしい日陰が殆どなくて、これが唯一の休憩所でした。

この木から登ってきた道が見渡せます。


サンディエゴ近郊の山は木よりも岩の多いところが多くて、信じられない大きさの岩がゴロゴロしてたよ。


頂上まであと一歩のところでまた休憩。このとき食べたオレンジが瑞々しくてとおおおっても美味しかった。


この青空、いいよねえ。


この岩はポテトチップ・ロックと呼ばれていて、地元の人がこの山を気に入っているひとつの理由でもあります。

到着の喜びを込めて、はいチーズ。


落ちると命が危ない程度の高さでふざけ合う大学生たち。こう見ると小学生に見えないこともないね。


帰り道は急な坂が多くて、短時間で戻れたけど水ぶくれがいくつかできました。

山登り用の靴を買ってもいいかなあと考えてます。

昔父に山登りに誘われては「つまんないからヤダ」って断ってたけど、ちょっと可哀想なことしたなと今になって思います。

次に日本に行ったら誘ってみよう。思い出は作れる時に作っておかないとね~。

やっぱり自然はいいですな。

Saturday, July 9, 2011

Drake's Bay Oyster Farm

彼が久しぶりにサプライズデートに連れて行ってくれるというので、2時間車に揺られて遠出してきました。


どこに行くのかなと思っていたら着いたのは牡蠣の養殖場!


私たちは牡蠣が大好きなので、大量の新鮮な牡蠣を見て興奮がおさまらない2人。


結局2ダース購入したのだ。プリン体万歳。


サイズによって値段が違うんだけど、私は安くて小さい牡蠣のほうが味が濃くて美味しかったように思います。彼は「僕のやつの方がデカい~」って喜んでたけどね。


ミニグリルを持ってきて焼いてる人もいました。私も焼いたほうが身がプリッとするので好きよ。


食べ終わって作業場をウロチョロしてたら何故か気に入られ、牡蠣をプレゼントしてくれたおじさん。イエイ。


こんな風にベルトコンベアーてサイズごとに仕分けをしてます。


仲良くなった記念に写真まで。


これは貝殻の山です。牡蠣の殻から植物が生えててびっくり。


こういうドライブは個人的に遊園地とかに行くよりずっと楽しいです。

カリフォルニアに住んで4年だけど、まだまだ行ったことのない場所があるのでどんどん開拓していきたいですな。

Friday, July 8, 2011

Deep Sea Fishing at Half Moon Bay

もう3週間くらい前の話ですが、人生で2回目の海釣りに行ってきました。

何度かカニや貝を食べに行ったことのあるサンフランシスコ近郊のハーフ・ムーン・ベイ。

この日は父の日だったんだけど、彼のお母さんはフィリピンの実家に滞在中だったので、私、彼、彼父、弟の4人で出かけました。

朝6時に出航だったので、4時半に起きて準備。


釣りのポイントに着くまでに1時間くらいかかったので、みんな甲板で足りない睡眠を確保。

この日はちょっとslow(釣れない)と言われていたので不安だったんだけど、結局かなり釣れたのでラッキーでした。


なかなかデカイのをキャッチ。


子供3人が楽しく釣りを続ける中、お父さんは船酔いで死亡。

出発前に前回地獄を見た私が乗り物酔いの薬を何度も進めたのに、「私はそういうの必要ない」とか言って強がって断っていた彼父。なのでちょっと笑えました。プフ。


結局釣りをしたのは3人だけだったにもかかわらず、合計で20匹もゲット。これはその一部。

ちなみに左下の黄色い魚はChinese Codというちょっと高い魚らしいです。私が釣ったのよ、ホホ。


でも帰路が最悪で、空は晴れてたのに波が荒かったので全身海水シャワーを浴びながらの1時間でした。もう本当泣きたかった。悲しすぎて笑えたもん。


帰ってからは魚づくしの日が4日間くらい続きました。でもフィリピン人と日本人だったので文句なし。

普通のフライと


姿蒸し


周富徳のレシピとやらを使ったんだけど、非常においしかったです。


ちなみに船の上でリバースしまくってた彼父は、陸についてから小声で「最悪の父の日だ・・・」と呟いていました。笑

魚料理食べてご機嫌取り戻してたけどね。いやー楽しかった。

欲を言えば自分のお父さんとこういう体験がしたかったなあ。

Friday, June 3, 2011

SDSVPインターン最終日


今日は1年弱続けたインターンの最終日でした。

学生のインターンが沢山いてまるで学校と変わらなかった議員事務所とは違い、ここでは仕事に情熱を持ってる人々のチームで働くとはどういうことかを学べた。

写真の二人は唯一有給で働いているスタッフで、団体の99%は裕福なボランティアのパートナーたちで運営されてるんだけど、インセンティブが無いのに人が集まるところには、やはりそれだけの価値があるということを知りました。

まあボランティアの人々は元々社会的に成功した弁護士や医師、投資家などの方ばかりなので、お金に困ってないから思う存分こういた活動ができるんだろうけどね。

でもアメリカ人の「自分が作り出した資産を社会に還元しようとする意識」は明らかに日本のそれに比べて強いので、これは素直にいい文化だなと思います。

では私がインターンの間お世話になった人々を少し紹介。

写真で右に映っているのはこのNPOの代表のペギー。現在44歳にして初めて妊娠中(しかも双子)という、これだけでも冒険的な人生をうかがわせる彼女ですが、経歴も冒険に富んでます。

22歳で大学を卒業した後、とにかく世界を見て回りたくて豪華客船のカジノディーラーになり、オーストラリア人と恋に落ちる。

1年間の船での生活を後にし、オーストラリアへ移住。彼と別れた後も知り合いの家を転々とし、農家でイチゴの栽培を手伝ったりシドニーでウェイトレスをしたりしながら1年をすごす。

兄に人生設計について問われたのをきっかけにアメリカに戻り、真面目にマーケティングの仕事を数年。

利益を追求するビジネスは自分に合わないと考えていたところ、アフリカでエイズをなくす運動を行っている知人に誘われ、アフリカへ移住、エイズ撲滅活動に従事。

社会を良くするNPOが自分に向いていると気づき、サンディエゴへ引越し運良く新設されたばかりのSDSVPの代表の座を獲得し、今に至る。

というなんともアドベンチャラスな人生を送っている方です。

就職についても何度も相談に乗ってもらったんだけど、彼女のコアバリューは「人生は1度しかないから、見たいものを見て、食べたいものを食べて、尊敬できる人のそばで幸せに生きたらいいと思う。何かに情熱を持てるのは何よりも素敵なことよ」ってことらしい。

私は今まで好奇心に突き動かされるままに生きてきて、年を重ねるごとに人生がより楽しくなっていくのを実感しているから、彼女の言うことが深く胸にしみます。

アメリカに残ることを決めたのも、彼女の言うような人生を送りたいと思ったからかもしれないなあ。

異文化の中でマイノリティーとして生活するのは、不便なことはあってもエキサイティングな要素のほうがずっと多いと私は感じていて。

朝起きて夜寝るまでに「日本は」「アメリカは」って考えるいくつものきっかけに出会えるのは、外国で暮らすからこその刺激だと思う。

彼女との出会いにより「ユニーク」であることの価値を再確認することができ、またそれに伴うリスクを真剣に考えるきっかけにもなった。

まだ短い私の人生の中でも忘れられない存在になるであろう一人です。


一方、左に映っているのは私に手取り足取り仕事を教えてくれた直属のボス・マンディー。

彼女は大学を卒業後、手話の先生をしながらダンサーとしてデビューすることを夢見てオーディションを受け続けること2年。

ダンスの夢がうまく行かず、聴力障害を持つ人のためのNPOで働くうちに、限られた人員や予算、ビジネスセンスの乏しい経営に疑問を抱き始める。

そして見つけたのが、そんなNPOに資金提供とビジネス的視点からのコンサルティングを行う団体、SVP。ここで秘書として働くこと4年、という具合です。

マンディーはまだ若いので経験が豊富なわけではないけれど、いつも笑顔でポジティブ、人を励ますために時間を惜しまない人柄は、私がすごく尊敬するところです。

私の仕事がチンタラして苛立ったこともあった筈なのに、彼女の話し方は厳しい内容の時も常に建設的でした。

まさに理想の上司だった。

というわけで、職場には非常に恵まれていた私。やはりNPOはお金を追わなくていい分、理念の追求に多くを捧げられるので、無駄なストレスを抱えていない人が多いように感じました。

職務経験はもちろん、実に様々なバックグラウンドを持つ人々に出会うことができ、本当に充実したインターンでした。毎週15時間の無給労働は楽ではなかったけど、確実にそれだけの価値を得られたと思う。


ちなみに本当はもう一人有給で働くスタッフがいたんだけど、なんと先週の火曜日にレイオフされてしまいました。

彼女は新しいパートナーを増やす営業のような仕事をしていたんですが、毎月のノルマに見合っていなかったらしく、8ヶ月でオフィスを去ることに。

私が来たときには彼女の荷物が全てなくなっていて、更にウェブサイトからも彼女の紹介欄が消えており、レイオフの厳しい現実を目の当たりにしました。

NPOであれビジネスであれ、アメリカの職場は人を切るときは本当にスパーンと切るので恐ろしいですね。まあそれが最も効果的なマネジメントに繋がるんだから、当然といえば当然だけど・・・

Wednesday, June 1, 2011

ビンラディンの殺害は正義だったか

今日はプレゼンを終えました。ものすごい開放感。


今回はビンラディンの殺害は正義だったかどうかについてプレゼンしたんですが、これは非常に興味深いトピックでした。

ちなみに写真は、ビンラディン殺害のニュースを受けホワイトハウスの前でお祭り騒ぎをする人々。

私は完全に部外者としての視点でこの事件を眺めているので、ビンラディンがテロリストだった現実を持ってしても殺害は完全なる正義だったとはいえないと考えています。

まあこれは外国人の中でも意見が分かれるところでしょうけどね。

新聞によると実際の遺族にも裁判にかけて事件の経緯を明らかにして欲しかったと望んでいる人は結構な割合がいるみたいだし、殺してその上証拠も出さないんでは大勢の人が納得いかないのは言うまでもないこと。

さらにそもそもビンラディンが打倒アメリカにむけて活動しだしたのは、彼の祖国であり、メッカのあるサウジアラビアに米軍が基地を置いたことがきっかけのようだし、「じゃあアメリカの世界警察ごっこと民主主義の押し付けは正義なの?」ってとこを軸に「アメリカは世界の望む”正義の達成”を追及すべきだった」ってことを主張しました。

そしたら反論のすごいこと。

「大量殺人の真犯人は殺されて当然だ」
「アメリカは今までの行為を善意で行ってきたのに、奴らは感謝のかけらもない」
「殺されたのが間違いだというやつは頭がおかしい」(これはオバマ大統領も同じ事を言ってた)
「裁判にしていたら裁判官の命も狙われるし、結局米国の基準で判決が出るから結果は同じ」

と、たくさんご意見をいただきました。

実際こんなプレゼンをアメリカの政治のクラスでやること自体が飛んで火にいる夏の虫そのものだったんだろうけど。

アメリカは自己利益の実現に非常に大きな価値を置く国なので、世界から見ると自分勝手な行動もアメリカ的価値観から見れば当然になってしまうんですよね。

アメリカの言う悪気のない「善意」が余計なお世話なこともあるってことに気づかないところは、本当にどうにかしてほしいけどね。

政策を組んでる人たちはもちろん民主主義・資本主義を広めることが自国の力の及ぶ範囲を広げることにつながるということをわかっててやってるんだけど、無駄に愛国心だけ強いアメリカンな方々はそういうところまで考えが行ってない気がします・・・

と色々思うところはあったんだけど、最後のほうはクラスが「アメリカYEAH!!」みたいな空気だったのであまり強気なことは言えずじまいでした。はは。

まあ白熱した議論になったし、結果的にプレゼンは成功したのでよかったかな。

来週で今学期も終わりじゃ~。テスト~~あああ~。

Thursday, May 26, 2011

Be a Yes Man!

卒業が近いので(という言い訳)遊びのお誘いを断るのをやめてみました。

誘われたときには乗り気でも、出かける直前になって「メンドクサー」ってなってしまうことが多いんだけど、そこで自分をプッシュしていざ遊びに行くと、結構毎回楽しいもんだね。

大学1年生の時は毎週パーティーばっかりしてた私も最近は「朝帰りのパーティーだなんて若いねえ」とか先輩風を吹かせていたんですが、全然そんなことなかった!やっぱり楽しい!笑

余談ですが、Yes Manというジム・キャリー主演の映画があるのね。

質問でも誘いでもお願いでも、とにかく何か言われたら"Yes"と答えると、あら不思議、人生がもっと素敵に!(実際もっと深い)という趣旨の映画なんだけど、今まさにそんな勢いで生きてます。悪くないぜ。

では写真へ参ります。これはビーチ風なバーで、白人ばっかりでしたが、売れてないラッパーがパフォーマンスしたりしてて楽しめました。


雰囲気や客層ももちろん大切なんだけど、結局はお酒の力よねって結論。


クラブやバーで露出度の高い格好でダンスをするお姉さんたちをGo Go Dancerと呼ぶんですが、勢いあまって彼女たちの台を乗っ取る私たち。女って集まると恥を忘れますね。


これの私とか。楽しすぎて「脇見て!」みたいなポーズになってる。ふふ。


バーの立ち並ぶ辺りは治安もよくないので、女だけで遊びに行くことはあまりないんだけど、たまにはいいもんですなあ。

これはまた違う日。エセ・ファイトクラブみたいなところに行きました。日本のお笑いを思い出したよ。


アメリカのバーはピーナツを無料で出してくれるお店が多いんですが、日本はどうなのかな。私はこの夜調子にのって食べ過ぎたらしく、翌日急性腸炎になって死ぬかと思いました。ダサい。


お決まりのガールズピクチャー。


というわけで、別に何か伝えたいことがあるわけでもないんだけど、しいていうなら「お誘いはたまに受けてみましょう」ってことでまとめます。

今日もまた出歩くのだ。ウシシ。

ベビーシッターの1年

この家に引っ越してきて1年と少し。

白人の家族と住むのは初めてじゃないんだけど、やっぱり文化的な部分でストレスが溜まることは少なくありませんでした。

特に大好きな料理が自由に出来ないのは本当に辛くて、早く引っ越したいなあと思うような日々が続いたり。(味噌や納豆や煮物の匂いが無理らしい)

でも知らないうちにアンディーはおむつを卒業し、アビーはアルファベットを読めるようになり、私はあと40時間働けばベビーシッターの仕事が終わるんだなと思うと少し感慨深いです。

4歳になったばかりのアンディーがつい先週補助輪なしで自転車に乗れるようになって、不覚にも涙してしまった私。

自分が自転車に乗れたのは7歳だったからとかそういう理由ではなくて、子供の成長ってこんなに誇らしいものなんだなあと当事者の立場で感じることができたわけです。

私は別に子供が好きなわけじゃないので保育士には絶対なれないと思うけど、仕事のやりがいってこういう小さなところに潜んでるのかもね。

得意げな彼。近所の男の子の中でもとび抜けて運動神経のいいアンディー。一長一短とは言ったものです。なんて。


最近は適当にしか遊びの相手もしてなかったんだけど、終わりが近いことを感じてサービス過剰気味に遊んでます。


「お話作って~」ってよく言われるんだけど、これが一番面倒なのよね。

話の流れを作るのって頭使うし、ちょっと盛り上がって発音間違うと「何その言葉」とつっこまれて人知れず傷つくし、だから「ヤダ」って断ることが多いんだけど、最近は前のように色々なお話を作ってあげてます。

これはポテトファミリーの冒険の一部。


そして定番、おままごと。さすがアメリカのおもちゃだけあって、オニギリはなく、ハンバーガーやカラフルなドーナツ、ハッシュドポテトなどがあります。


子供って本当に正直で、「このフレンチトーストまずい」とか平気で失礼なこと言ってくるんだけど、その分愛情も豊かで「だーいすき。今日も一緒に遊んでくれてありがとう!」とか言われるとトロけそうになっちゃう。

自由な生活が待ち遠しいのと同時に、ここを離れるのが少し寂しくて、つくづくいい1年だったなと思いにふけっているところです。

Wednesday, May 25, 2011

San Diego Bound

サンディエゴってアメリカ国民にはかなり人気の旅行スポットなんだけど、日本からわざわざ来るには大した観光名所もなくてイマイチ、という外国人旅行者の少ない街なんです。

でもビーチは自然が多く残ってて綺麗だし、ゴミも少ないし、空気も澄んでるし、夏も暑すぎないし、と実はとても素敵な街で、私は結構気に入ってます。

これは学校から歩いて15分のところにあるビーチ。奥のほうは有名なサーフスポットで、同時にヌードビーチにもなっているという面白スポット。小太りな裸のおじさんしかいませんけどね。


この自然ドカーンて感じがすごく好きです。サンディエゴは市の条例で高いビルを建設してはいけないことになっているので、この青空を満喫できるのよね。


学校の裏にこんな景色があるなんで本当に贅沢。ただ学生はパーティーが大好きなので、キャンプファイヤーの設備などの整っている人工的なビーチの方が人気です。 ここは年配の方やハングライダーがたくさんいます。


ちょっとしたハイキングもできる様になっているので、今回も友達何人かとサンドウィッチを持って出かけてきました。


引っ越しの時期が迫ってくると、急にその土地に愛着が沸いたりするのよね。

北カリフォルニアの夏の刺すような暑さも悪くないけど、サンディエゴの柔らかい暑さもいいもんです。

カフェやレストランを巡るのも楽しいけど、アウトドアはまた違う醍醐味があるねえ。

Sunday, May 15, 2011

パーティータイム

ミッドタームが終わったので久々に派手に遊んできましたー!

本格的にお酒を飲んだのが半年振りくらいだったので、予想通り酷い二日酔いになり、でもインターンでボスのプレゼンの資料を完成させなきゃならなくて、「二日酔いに効く食べ物」とかをネットで検索しながらパワーポイントと睨めっこして泣きたい気持ちだった。私アホい。

私のBig Sisランフィーの21歳の誕生日も兼ねていたんだけど、彼女はバーもクラブも気にいったみたいなのでよかったよかった。

飲み始め。まだこの時は幸せだった。


始めに休みなくパトロンのショットを2つ。


バーの人みんながフレンドリーで、誕生日ってのを聞きつけると悪意なくドリンクをごちそうしてくれるので、断りきれず開始30分くらいでトマト色に変色するランフィー。


もうこの辺覚えてません。鼻の穴見えてるし・・・


こういう学生っぽい飲み方も懐かしくなるんでしょうな~。


全体ではこの倍以上いたんだけど、いやー楽しかったです。二日酔いを除いては。ちなみにチラホラみえる青いカクテルは悪名高きA(dios) M(other) F(ucker)です。


翌日は二日酔いをものともせず(?)クラブへ。後ろにあるのは日本でいうドリンクバーみたいなワインマシーンだよ!迫力あるよね。



写真とりまくり。


セレブ気取り。



いやあ。久々のパーティーだった。

最近はいつも準備が面倒くさくて断っちゃうんだけど、たまにはいいね!楽しかったー!