フォルダの整理してたら懐かしい写真が出てきました。
大学1年時にインドにバックパックの旅に行った時の写真。
ブッタガヤのスジャータ村というところの道を歩いていた時にラジュとアヌープという青年達に出会ったのが始まりなんだけど。
彼らは自分が大学の学費に使おうとしていたお金を使って、村の孤児のための学校をつくって運営していて、旅行者からの寄付を募っているところでした。
ほかの貧困国も同じだと思うけど、インドには物乞いがたくさんいるので「また新手のが来たな」くらいに思っていたんだけど、暇だったので一緒にお昼ご飯を食べながら話を聞いていると、どうやら本気っぽい。
(私の見た目がすごいことになってますが、インド仕様です)
なかなか面白い話をしてくれたので、寄付するかどうかは別として、数日間英語の先生になることをを引き受けた私。
これが彼らの教科書なんだけど、もう本当にどこから持ってきたのってくらい古くて傷だらけのものを使っていて、驚くと同時に自分が小学校の時にほぼ新品の状態の教科書を進級するたびに捨てていたことを思い出して恥ずかしくなりました。
この学校は文字通り彼らの手作りで、村中の人からレンガや木を分けてもらって作ったらしい。孤児のための学校なので半分が寝泊りする部屋になっていて、全部で10畳もないようなところなんだけど、よく作られていました。
最初は数日だけ手伝う予定だったんだけど、なんと私が泊まっていたホテルのオーナーからレイプされそうになるという事件が発生して、その時に彼らが村中総出で助けてくれたので、結局1ヶ月くらい滞在していたかも。行き当たりばったりの3ヶ月間だったのでね。
ここで学んだことは書ききれないので省くけど、それまで「貧困国の識字率を向上させたい」と思っていた私はここで初めて現実の難しさを少し知ったように思う。
これを例とすると、単に孤児の学校といってもどうしてもメインは身の回りの世話(子育て)になってしまうし、設備が整えばそれだけ盗難の可能性も高まる。(私の滞在中にも汲み上げポンプや鍋など生活必需品が盗まれた。)運営費がなければカリキュラムもないので、学校として機能しないなどなど、障害は数えるとキリがない。
貧しい人たちを助けようとすると、関係ないように思えることまでもを含めたゼロからの土台作りが必要なことを知ったんです。
だから効率的で長期的な援助をしたいなら、情熱はもとより組織の運営能力がないと、と思ってコンサルティング業界に興味を持ったわけなんですが、就活しながら志望動機を考えるうちにそもそもの夢があやふやになってきました。
人助けしたいだけなら、問題のカテゴリーを問わなければ困ってる人は日本国内にも星の数だけいるし、せっかく日本人として生まれたんだから日本に貢献したいなと思い始めて。
まあ何だかんだいって内定をいただけないと話にならないので、ブツブツいわずに東京で結果出さないとね。
新卒で入社し数年で転職する人が増えたとはいえ、先が見えないのはスリリングですなあ。
No comments:
Post a Comment