Tuesday, May 4, 2010

アイデンティティー



たまに自分のアイデンティーに関してわからなくなることがある。

私は大抵の留学生と比べて良くも悪くも無駄にアメリカナイズされているらしく、確かに着る服からして日本人留学生の女の子とは明らかに違う。

UCSDに来てからは日本人の友達が一人もできてないし、日本語を話すのは親と話すときくらい。

始めの頃は日本人とつるんじゃいけないと思ってかなり頑張ってたけど、いつのまにかそれが普通になってしまった。

別に調子に乗ってるわけじゃないけど、”アメリカ人ぽく”なった自分が好きだし、日本人とハングアウトするよりもアメリカ人といるほうが楽に感じられること自体にも自分の成長を感じる。

アジア系のアメリカ人はよく留学生や最近アメリカに来たばかりの人のことを”FOB”(Fresh Off the Boat: 船から下りたばかりの人たち)といって笑う。

アクセントのある英語、アジアではやっているようなフリフリの服、学校でヒールをはくこと、男の長い髪の毛、男のスキニージーンズなどなど、アメリカ人から見て ”普通じゃない”ことは大抵”Fobby”の一言で形容される。

アメ人の中で遊び始めた頃によくFobbyってからかわれることがあったんだけど、「十分じゃない」って言われてる気がしてものすごく嫌だった。

だんだん交友関係が広がって、始めは敬遠してたスラングも積極的に使うようになり、変な発音は彼氏にいちいち指摘してもらうようになってから、みんなの扱いが変わったのを感じた。

特にUCSDに来てからは、自分で留学生を名乗らない限り「英語のうまい留学生」から「日本語の上手いアメ人」として見られるようになり「アメリカ人目線」での話をする機会も増えた。

ただ、アメリカ人として扱われて嬉しい反面、自分の日本人としての自覚が思っていた以上に大きくて、彼らをアメ人という枠で一くくりにして外から見つめている自分に気づいた。

誰かが何かアホなことを言うと、「これだからアメリカ人は」みたいなね。

これは彼らに交わろうと必死で努力してた頃には気づかなかったこと。


一方で日本人の輪の中に入ったとしても、「ここは私の場所じゃない」みたいな拭えない違和感を感じる(ノリが違う)し、日本人の友達しかいないような人が「アメリカ人て~~だから無理」のような知ったかぶり発言をすると、自分の中のアメリカかぶれ魂に火がついて「お前に何がわかるんじゃい」みたいな気持ちになる。

どっちにいっても自分をマイノリティーとして認識してしまって、たまに結局自分は何なんだろう、って気になる。


多分私の気持ちに共感するには同じくらいアメリカ文化にかぶれてないと無理で、アコはそんな私の一番の理解者。

アメリカ人の友達はもともとの立場が違うから、サポートはしてくれても理解はできないみたいだし、大抵の日本人からは思い上がってると思われてしまう。


ただ確かなのは、結局自分はいつまでたっても日本から来た日本人であって、アメ人としての自覚はたとえ市民権を取ったとしても生まれないだろうなってこと。

そして母国語と背景文化が同じ人とはお互いの考えを理解し合える確立がほかよりもずっと高いってこと。

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なぜこんなこと書いたかというと、日本人のネットワークがまったく無いことが最近の悩みだから。

ハングアウトに関しては不足はないんだけど、就職活動を始めるとなるとどうしても情報が命になってくるからね。

海外における日本人同士のネットワークは持ってて損は無い、てか必須ですね。


まあ、素敵な親友と友達と彼、そして両親に恵まれているので、それに感謝しつつあせらずに解決していきます。

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